三島由紀夫と安部公房――対極なのに惹かれる理由とは?

三島由紀夫と安部公房。右翼と左翼、伝統主義と前衛主義――一見、まったく共通点がない二人の天才文学者が、なぜ現代の読者をこれほど惹きつけるのか? 実は、彼らの魅力の根底には、多くの共通点と深い共感が潜んでいます。

目次

表面的な対極性――政治と美学

三島由紀夫は天皇崇拝と武士道を重んじ、自衛隊を巻き込んだ決起を呼びかけ、命を賭した美学を追求しました。一方、安部公房は共産主義を信奉し、戦後民主主義を支持しつつ、現代社会の疎外と孤独を寓意的・前衛的に描き出しました。

しかし、彼らが描いたのは結局「戦後社会の虚無感」。左右の政治イデオロギーを超えて、「伝統喪失」「孤独と疎外」といったテーマを共有していました。

孤独と仮面――意外な共通テーマ

三島の『仮面の告白』と安部の『他人の顔』、どちらも「仮面」というモチーフを用いて自己の本質や虚構を問いました。安部が現代社会で自己を見失う人間の孤独を描けば、三島は戦後の伝統喪失で自己を見失った人間を描きます。二人の作品は、表現の違いこそあれ、「自己と社会の葛藤」を描く点で深く繋がっています。

「死と身体」――異質だが通底する美学

三島は鍛え上げた肉体を通して美を追求し、『太陽と鉄』に見られるように「死をもって完成する美学」を掲げました。対して安部は、身体の変容や消失を通じて人間存在を問う作家でした。身体を鍛える三島と身体を失う安部。逆方向からアプローチしつつも、「人間の存在を身体から問う」という共通の課題に取り組んだのです。

深い友情と知的共感

思想や行動はまったく対極でも、実は安部と三島はお互いに深い友情と尊敬の念を抱いていました。1958年に行われた大江健三郎を交えた対談では、「文学は自己演出だ」と意気投合。1966年の二人だけの対談では、「死によって理念を掴む」という三島の発言に安部が皮肉まじりの共感を示しています。

また、三島の自決の前には、彼が「最も尊敬する作家」の一人として安部公房に別れの挨拶を行いました。一方、安部も三島の映画『憂国』を観て「不可能に挑戦する三島に嫉妬に近い共感を覚えた」と評しています。

なぜ私たちは二人に惹かれるのか?

安部公房と三島由紀夫――二人が今も多くの読者を魅了するのは、彼らが思想の違いを超えて、人間存在の根源的な孤独や疎外感を鋭く描いたからでしょう。表面的な対極の中にある深い共感と友情、そして文学に人生を賭けた彼らの生き様が、私たちに「人間とは何か」という問いを突きつけるのです。

戦後日本の二大巨頭が残した文学は、いま改めて、私たちの心を揺さぶっています。

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