
「元気すぎるくらいだった彼が、まさかこんな形で――」
かつて私が最も信頼していた元上司が、心臓発作で急逝したと聞きました。驚いたのは、彼自身が「人間はそう簡単に死なない」と豪語していたこと。まさに突然の出来事で、言葉を失います。
壮絶な過去から“命懸け”の男へ
実は彼、若い頃からかなり壮絶な人生を送っていました。両親が抱えた莫大な借金で夜逃げを余儀なくされ、進学はもちろん、ローンすら組めない。そんな逆境にさらされながら、社会の底辺を必死に生き抜いてきたのです。
私が出会ったときも、時には荒れ気味でしたが、仕事には常に命を削る勢いで打ち込んでいました。私の仕事を初めて認め、背中を押してくれた人でもあります。
退職後に知った“意外すぎる”事実
しかし、私が会社を辞めたあと、彼が結婚して子どもまでいたなんて思いもしませんでした。突然思い立って電話をしてみると、出たのは彼の奥さん。そこで告げられたのは“心臓発作で亡くなった”という、あまりにも衝撃的な事実。
「帰宅してから急に倒れ、ICUで1週間意識が戻らなかった」と聞かされ、私はただただ放心状態でした。
“孤独仲間”だと思っていたのに…
実は、私は勝手に「彼もずっと独身で孤独を抱えている」と思い込んでいました。だからこそ、どこか他人事ではなく「彼が頑張っているなら、自分も乗り越えられる」と感じていたのです。ところが、その幻想は電話一本であっけなく崩れ去りました。
“勝手な共感”のリスクを痛感
ふと考えると、彼を“孤独の同志”扱いしていたのは、私の一方的な思い込みに過ぎませんでした。勝手に彼の生き方を自分の糧にしていた――そんな自分自身の甘さに気づかされました。
一方で、結婚して子どもまで育てながらも、経済的なストレスや責任感が、彼を追い詰めていたのかもしれない。あれほどタフだった彼の命を奪うほど、プレッシャーというものは大きいのでしょう。
人間関係に疲れたら“自分の世界”へ
「人生には4つのクライシスがある」とある本で読んだことがあります。私は彼の死をきっかけに、もう俗世間に理解を求めるのはやめようと思いました。仕事が終わったら、文学の世界に没頭する――それでいいじゃないか、と。深く関わるほど傷つくことが多いなら、最初から踏み込みすぎないほうが楽ですから。
それでも消えない“結婚”へのわずかな憧れ
正直なところ、心のどこかで恋愛も結婚もしてみたい。子どもがいる温かい家庭に憧れを抱く自分もいます。だけど、今の私には「もし結婚したら不幸になる」という漠然とした不安がぬぐえません。
“私の支え”は意外と身近に
明後日は国立科学博物館で「DNA古代日本人展」を見て、その後吉原ルピナスへ行き、池袋で「ノーアザーランド」を観る――そんな小さな予定が、私の心を支えています。大袈裟かもしれませんが、人が生きるうえで大切なのは案外こういう些細な“拠り所”なのかもしれません。
彼が遺したものを胸に、私は生きていく
「いつも豪快な彼」がいなくなった事実は寂しい。でも、だからこそ私は決めました。
「彼の分までしぶとく生きてやる」
孤独でも、自分なりの生きる意味を見出していこう――そう心に誓うのです。
コメント