ウクライナ戦争の泥沼化:100万人超の犠牲者、トランプとゼレンスキーの攻防、そしてAI覇権戦争へ

ウクライナとロシアの戦争が始まって、もうすぐ3年。この間に100万人近くが命を落としたという報道がある。21世紀の今、最先端の兵器を使って人が殺し合う現実は、あまりに悲惨だ。ウクライナでは民間人の犠牲が増え続け、戦争の終わりは見えない。科学技術は驚異的な進歩を遂げたのに、人間の本質的な未熟さは変わらない。こんなにも幼稚な争いが続くことに、苛立ちを覚える。

トランプ vs ゼレンスキー:「停戦」の裏に渦巻く思惑

先日行われたトランプとゼレンスキーの対談は、まるで幼稚園児の口喧嘩だった。政治的立場を一切譲らず、互いに一歩も引かない。そこには権謀術数が渦巻いていたが、結局は大国・アメリカの思惑通りに進んだと言えるだろう。

ゼレンスキーは多くの戦死者の思いを背負い、妥協できる立場ではない。もし彼がレアアースの資源を認めて停戦を受け入れれば、国内外からの非難は免れない。一方でトランプも、それを理解した上で会談を仕組んだ。結果、ウクライナはますます追い込まれた形になった。

トランプの狙いはロシアではなく中国?

トランプがロシア寄りの発言を繰り返すのは、もはやロシアがアメリカの脅威ではなくなったと見ているからだ。彼が真に対抗心を燃やしているのは、中国である。関税を引き上げ、中国経済を圧迫することで次の覇権争いに備えている。AI分野への巨額投資もその一環だ。ここで遅れを取れば、21世紀の覇権は中華圏に奪われることになると見ているのだろう。

「ウクライナはロシアでは?」最初に抱いた疑問と戦争の本質

この戦争が始まった時、率直に疑問に思った。「ウクライナにはチェルノブイリがあるし、もともとソ連だった。ロシアでもウクライナでもいいじゃないか?」しかし、これは単なる領土問題ではなく、国際社会が“力による支配”を許すかどうかの戦いだった。ゼレンスキーはこの道義心を巧みに利用し、国防の旗印にした。

冷戦時代、ロシア(旧ソ連)とアメリカは互角の力を持っていた。しかし現在では、ロシアの国力は衰え、アメリカの独壇場となっている。オバマ政権時代にはウクライナの親露派をクーデターで排除し、西側諸国の影響を強めた。ロシアにとってウクライナは重要な緩衝地帯であり、それを失えば自国の安全保障が揺らぐ。プーチンが戦争に踏み切った背景には、こうした地政学的な事情があるのだ。

だが、「武力による侵攻を許すな」とウクライナを支援するのは、果たして正しいのか?アメリカとロシアのパワーバランスが崩れたことが、戦争の遠因になったとも言える。

ゼレンスキーが亡命していれば?戦争の意味を問う

この戦争が長引く中で、考えずにはいられない。「もしゼレンスキーが亡命していたら、ウクライナの死亡者はここまで増えなかったのでは?」と。闘うことにどれほどの意味があったのか?

日本は歴史上、植民地支配を受けたことがない。そのため、「国を奪われる恐怖」を実感しにくいのかもしれない。だが、今こうして戦争が続くことで、何万人もの命が失われている。この犠牲は本当に必要だったのか?

人類はもっと発展的なことに力を使えないのか。戦争ではなく、AIや科学技術の競争にエネルギーを注げないのか。

戦争の本質を見つめると、人間の奥底に眠る「獣性」は、まるで海底の巨大な岩のように微動だにしない。どれだけ時代が進んでも、人類はこの宿命から逃れられないのだろうか?

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大日如来参上のブログへようこそ。ここでは、性の本質、結縁の道、聖地巡礼、社会の問題、舞台や映画のレビュー、そして智慧の書など、多様なテーマを通じて、内なる美と智慧を探求します。
私は、衆生の心の美を見つめ、その内なる光を見出す手助けをしています。
このブログの目的は、読者の皆様が日常生活の中で智慧と平和を見つけ、心と体を鍛え、人生の本質に近づくための情報とインスピレーションを提供することです。
大日如来の教えを通じて、皆様の人生がより豊かで意味深いものとなりますように。

コメント

コメントする

目次