「熱がちょっとあるかも」と母が呟いた日、私は父とともに病院へ駆け込んだ。軽症で済んだのは幸いだったけれど、私がかつて体験したコロナは地獄そのもの。39度近い熱にうなされ、うめくように3日間を過ごしたあの苦しみは、今でも脳裏にこびりついている。
そして不思議なことに、2度目はあっさり乗り越えられた。37度ちょっとの熱が引いてからは、推しの風俗嬢に会いに行くほど回復していたのだ。もしかしたら、その一瞬だけドーパミンがマックスになっていたのかもしれない。
「金トレ」を信じる私の理由
母が罹患した今回も、私は自室にこもってパソコンと睨めっこ。けれど正直、ずっと家に籠もるなんて退屈すぎる。そこで思いつくのが私の“秘密兵器”——「金トレ(金玉トレーニング)」。風俗やソープで得られるテストステロンは、見た目を若々しく保つための自己投資だと信じている。批判はあるかもしれないけれど、これが意外と馬鹿にできない。
ドーパミン中毒の入り口
そんな私が最近ハマっているのが、NHKのドキュメンタリー番組『映像の世紀バタフライエフェクト』。薬物の恐ろしさを描いた回を観て、衝撃を受けた。甲子園で優勝を決めたときのドーパミン指数が300、最高の美女とベッドを共にしたときが180、しかし覚醒剤をキメると1000になるという。もう常識を超えている世界だ。とはいえ、私だってドーパミンの快感から完全に逃れられているわけじゃない。それは風俗だろうとゲームだろうと、人はいつだって何かにハマる可能性を秘めている。
キリストが見た“許し”の景色
極限まで追い詰められ、脳内ドーパミンが最高潮になったとき、人は何を想うのだろう。イエス・キリストが「彼らを許せ」と祈った瞬間も、もしかしたら脳の中でドーパミンが炸裂していたのかもしれない。そこに、私たちがまだ知らない“救い”のヒントが隠れているのだろうか。
そして私は、今日も次の一手を考えている
母は父に任せ、私は仕事と“金トレ”の計画を立てる。新宿のアパホテルで一泊して、翌朝にソープへ行くプランも悪くない。喉のイガイガが本格的にコロナだったらどうしよう? そのときはそのときだ。雛祭りの準備もあるし、人生は止まってくれない。
これが私の日常の断片。散漫なようでいて、意外とつながっている。どうせ生きるなら、味気ない日々よりも、ちょっと刺激的な毎日のほうがいい。だから私は走り続ける。ドーパミンと、テストステロンと、ほんの少しのコロナの恐怖を抱えながら——。
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