婚活で出会った“旧ナンバースクール中毒”の彼女は今どうしてる?
久々に駒場東大前駅に降り立ったのは、婚活で知り合った“旧ナンバースクール中毒”の彼女との思い出がきっかけでした。かつて東大博物館の野球部の歴史展を一緒に見に行ったあの日以来、彼女とは会っていません。「結婚したのだろうか?」なんて考えながら当時を思い出すと、不思議と胸がざわつきます。
そんな彼女は読書家で、家中が積読だらけ。その読書量は驚くほどで、インプットに偏りがち。いっそ小説やブログでアウトプットすれば、脳の機能バランスが格段に良くなるんじゃないか? なんて、会話を思い返して思わず頷いてしまいました。
その発想はなかった!AIで“世界旅行”を実現するブログ構想
行きの電車で、中国人の二人組が読んでいたのは、20年後のAI社会を描いた作品『AI 2041』。読んでいるうちに、「実際に海外に行かなくても、AIが映像や画像を駆使してくれるから、世界各地を旅する物語を書けるかも?」という奇想天外なアイデアが浮かびました。
ただ、小説として時間をかけて書き上げるにはハードルが高い。だったら、ブログ形式でさくっとアウトプットしてしまえばいい! これは読者にも、想像力にも大きな刺激になりそうです。そんなことを考えながら、私は駒場東大前駅で降り、目の前に広がるゆるやかな坂道を見上げました。
ホリエモンが駆け上がった“あの坂”とネット社会が生むリアルとの摩擦
ゆるやかな坂の先にあるのは、東大キャンパス。テレビ番組『ドラゴン桜』でもホリエモンが受験のために上った坂として紹介され、一躍有名になりました。
けれど、実際に歩いてみると「あの映像で観た坂と、今目の前にある坂はどちらがリアルなんだろう?」と不思議な感覚に襲われます。ネットや映像が発達した今の時代、“イリュージョン”と“リアル”の境界はどんどん曖昧になっているのかもしれません。
もっとも、現実の事故や障害で身体に支障が出れば、一瞬でリアルが突きつけられる。内向的な人ほど、わざと身体を痛めてまで“自分の存在”を確認しようとするのは、そうしたリアルとイリュージョンのはざまで苦しんでいるからなのかもしれません。
三島由紀夫生誕100年! 日本近代文学館の展示があまりに濃密だった
1階の小さな喫茶スペースでは、文豪の名前を冠したメニューが並び、2階が展示室になっていました。三島由紀夫生誕100年を記念して、原稿や手紙、友人・編集者とのやりとりなどが多数展示。かつて読んだ三島作品の数々が、筆跡という“生の証”を伴って迫ってきます。
文字が手書きで綴られている原稿用紙を目にすると、まるで三島の息遣いまで感じられるようで、思わず背筋がゾクッとしました。「この一文字を書いた夜」の気迫が、筆跡ににじむからでしょう。
“どこにいても何か違う”──三島の純粋性を物語る言葉
展示のどこかに書かれていた“三島の告白”ともいえる言葉が、深く胸に突き刺さります。
僕は、どこにいても、何か違うという気持ちになっていた
どこにも馴染めないような孤独感――それは三島が持っていた純白な魂ゆえなのかもしれません。いかに博識であろうと、その純粋さだけは汚せなかったからこそ、強烈な“違和感”を抱き続けたのでしょう。
市ヶ谷駐屯地で掲げられていた“最後の布”の生々しさ
展示の終盤には、三島が市ヶ谷駐屯地で掲げた布に書かれた決起の理由が、そのまま残されていました。文章としては読んだことがあっても、手書きの文字を見るとその“生々しさ”がまるで違います。
普段は几帳面で常識的、仕事も律儀にこなす人間だったのに、どうしてあの日、あのような衝撃的な行動に至ったのか。まざまざと三島という**“生きた人間”**の姿が浮かぶようで、ただただ圧倒されるばかりでした。
もちろん、“盾の会”や自衛隊での制服も展示されており、彼が日常的に着ていたであろうその衣装からは、まるで三島の魂が今なおそこに存在しているかのような、ゾクッとする感覚を覚えます。
今年は安部公房も三島由紀夫と同じく生誕100年。私にとっては尊敬する作家でもあるので、各地で開催される関連イベントにはぜひ足を運びたいと思っています。ネットを駆使して情報を集め、見逃さないようにするつもりです。
リアルとイリュージョン、AIがもたらす未来、そして文豪たちが残した“生”の証――。これらが錯綜する今の時代だからこそ、私たち自身も想像力と現実感のバランスを問い直す必要があるのかもしれません。
どこにいても、自分らしく生きることの難しさ。
――その答えは、もしかしたら私たち一人ひとりの“存在”の中に、すでに眠っているのかもしれません。
まとめ
駒場東大前駅を降りて思い出す“旧ナンバースクール中毒”の彼女との婚活エピソード
AIで世界旅行!? ブログ形式で発信する新感覚アイデア
三島由紀夫展で体感した“筆跡”が放つ生々しい迫力
“どこにいても違う”――三島の純白な魂と孤独感
市ヶ谷駐屯地での決起の真実、几帳面な日常とのギャップ
“リアル”と“イリュージョン”の狭間を揺れ動く私たちの心を、時代を超えた文豪の生きざまが強烈に照らし出す。ぜひ一度、あなたもその熱量を感じに足を運んでみませんか?
コメント
コメント一覧 (1件)
このブログ情報は有益です。
三島由紀夫のファンですが、このブログを見るまで
三島由紀夫展の存在を知りませんでした。
レビューありがとうございます。 来週行ってきます。