中東の闘いが映し出す人類の宿命:憎しみの連鎖は断ち切れないのか?

X(旧Twitter)で拡散される動画を、私は遠い日本から目にしている。そこには、イランから発射されたミサイルが、イスラエルの街に降り注ぐ光景が映っていた。その場にいない私でも、リアルタイムで目撃できるという、現代の科学技術の進歩に驚かされる一方で、その光景は、戦争が現実のものであることを改めて感じさせる。

ミサイルが空を切り裂き、真夜中の空に流れ星のような光を描く。その度に地上からは炸裂音が響き、ガザ地区の住民たちは「アラー!」と叫び、光の雨に興奮している。まるで神が降臨したかのような光景だ。

この戦争の背後にあるのは、憎しみの連鎖だ。キリストは「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」と教えたが、現実にはそれを実行するのは難しい。いじめられたらやり返す、そうしなければ自分を守れないという本能が人にはある。だが、イーロン・マスクは、「この教えにはもっと深い意味がある」と語っていた。それは、人類が繰り返してきた報復の連鎖を終わらせる鍵かもしれない。

人類史は、報復の連鎖の歴史でもある。愛よりも憎しみが人を強く動かしてきたのではないか。マキャベリは「平和は、戦争と戦争の間の休息に過ぎない」と語ったが、現代もその言葉が通じてしまう現実が悔しい。音楽バンド「世界の終わり」の曲「アンチヒーロー」には、大切な人を守るためなら何だってする、というメッセージが込められている。ライオンが家族を守るために命がけで戦うように、人間もいざとなれば、理性よりも本能が勝る。私は若い頃、綺麗ごとを言う人を軽蔑していたが、今では、そうした理想論を語ることで人間の獣性を抑えようとする姿が貴く見えるようになった。

では、イスラエルは報復をするのだろうか?その報復は一時的な安心感をもたらすだけではないのか。中東の人々は長い間、白人に搾取されてきた歴史がある。その報復の思いを根絶することはできないだろう。

私が知っていることはほんの一部だ。中東に行ってみなければわからないことが無数にあるだろうし、行ってもなお理解できないことが山ほどある。それでも、動画で見たミサイルの光景が、花火に見えてしまう瞬間がある。そんな他人事のように眺めている自分に、恐ろしさを感じざるを得ない。

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