先日、会社の健康診断でレントゲン写真を撮りました。結果を見ると、「右中肺野結節影疑い」と書かれていました。健康診断で指摘されるのは、いつも善玉コレステロールの値が異常に高いということであり、経過観察だけで済んでいました。しかし、今回の結果に不安を感じました。簡単に言えば、肺に影があるということです。明日、かかりつけ医に見てもらいますが、そこで影が確認されれば、大学病院で精密検査を受けることになるでしょう。この影が何を意味するのか、まだわかりません。
ただの骨や肉の影かもしれないし、炎症の痕、肺炎、結核、さらには肺癌かもしれません。私の身体がよりグロテスクに感じられるようになりました。今まで無意識に感じていた身体が、複雑怪奇なものに見えてきたのです。生命体とは不思議なもので、いつまでも綺麗な人もいれば、すぐに劣化したと言われる人もいます。
私が身体のことで心が凹んだことを思い出すと、中学校に入学してから徐々に視力が落ちてきたことがあります。眼鏡で視力を矯正することに抵抗がありましたし、身体の機能が失われて戻らないことに絶望を感じました。ダルビッシュ投手がトミージョン手術をする前にキャッチボールをした気持ちはよくわかります。
次に、私の場合は頭皮です。20代の頃、頭頂部が薄くなり、日差しの強い日には黒毛の河童のようになってしまいました。中学校の頃からつむじの周りが薄かったので、「禿げになる」とからかわれていました。その時は大人になってもこのままだと信じていましたが、実際に禿げてしまいました。朝起きて薄暗い気持ちになりながら通勤したことを覚えています。
健康診断で善玉コレステロールの値が引っかかるようになったのは30代後半からです。最初はB判定でしたが、今ではC判定となっています。そろそろ危ないところに来ているのではないかと、毎回の健康診断で不安になります。
今回の肺の結果には、正直、死を覚悟しました。出勤していつもの職場に行くと、もし明日死ぬとしたらこんなことをしていていいのかと思いました。会社内でのポジションアップなど、どうせ死ぬのに、生きている間にいいとこの縄張りを形成して何になるのだろうと考えました。普段、アクセク働いていたことが無意味に思えてきました。
もし余命1年と言われたとしても、憧れのドイツに行きたいかというと、そんな気分にはなれません。死ぬ前に世界を見に行こうと思えるかというと逆で、より内省を極めたいと思います。神奈川近代文学館を訪れた時、有名な詩人が横浜線の電車に乗り込む人を見て「いいなぁ、頑張ってくれよ」とささやく詩を思い出します。健康であるがゆえに気づかない日常のありがたさを、素敵にほのめかしていました。
あらゆる事物も、終末の側から眺めれば、すべては許しうるものになるというのは本当です。しかし、末期の目なんて、太陽をまともに見つめられないように、生きている人は永遠に持ちようがないものです。それでも、終末から観ようと努力することはできます。会社に行き、まともになりたいのにまともじゃないことに縛られる。誰もが同じです。
この経験を通じて、健康のありがたさと日常の大切さを再認識しました。何気ない日常が実はとても貴重であることを忘れずに、生きていきたいと思います。
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