曇り空の富士山と三島由紀夫の旅

※過去の記事を、読みやすくリライトしたものです。

旅行の決意

 緊急事態宣言が出てから、スーパーの店内が激混みして、鮮魚部に勤める私としてはかつてないほどの疲労が溜まっていた。連日出勤していたため、昨日から3連休がとれることになった。フラストレーションとストレスは、判断を狂わせるものだ。私は3連休を利用して、三島由紀夫の『暁の寺』『天人五衰』の舞台となった「北口富士浅間神社」「三保の松原」「日本平」を訪れることにした。旅行を通じて心をリフレッシュさせるためだ。

旅の始まり

自宅近くのニコニコレンタカーから車を借り、高速道路を使って1時間半で富士山駅に到着。曇り空で富士山は見えなかったが、旅の興奮が私を包み込んでいた。

神社への道

神社近くの駐車場に車を停め、風邪薬を飲んで一休み。天気予報によると、曇り空が3時間で晴れるとのことだったので、12時に目覚ましをセットして仮眠を取った。目覚ましの音で驚いて起きると、少し疲労が和らいでいたが、まだ体調は万全ではなかった。

北口富士浅間神社

大鳥居を見上げ、三島由紀夫の描写が頭に浮かぶ。

「石の扁額に「富士山」と刻んだ巨大な石の鳥居を見上げ」た時の荘厳さが今も感じられる。

参道に入ると、三島の描写が鮮明に蘇る。

「6人は相扶けて雪じめりの参道を歩いた。木洩れ日が残雪の一部を荘厳にした。」

本多の思い出がよみがえり、神的なものの兆候が感じられる。

現地の状況

富士吉田市は、中国からの観光客に頼っていたところもあって、住民に一律1万円の給付が行われたそうだ。周辺のお店もシャッターを閉じていて、コロナ対策に奔走することは、もっと恐ろしい経済上の死を招くことになるのだろう。失業者が多くなり、治安が悪くなると、治安維持法のようなものが出来て、それが行政上に利用されていくと、言論の自由すらも脅かされていくものではないか? 

コロナ時代をいかに生きるか? スーパーで魚を仕入れ捌いて販売しているだけでいいのか? 

四十路を前にして自殺したくなる。芥川龍之介の「ただぼんやりとした不安」が私の心を捉えるのだ。

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この記事を書いた人

大日如来参上のブログへようこそ。ここでは、性の本質、結縁の道、聖地巡礼、社会の問題、舞台や映画のレビュー、そして智慧の書など、多様なテーマを通じて、内なる美と智慧を探求します。
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