はじめに
「アンネの日記」は、ホロコースト時代にユダヤ人少女アンネ・フランクが隠れ家で過ごした日々を綴った有名な作品です。原作はアンネ自身の日記であり、彼女の視点からその恐怖と希望が描かれています。しかし、もしこの物語が三人称の多視点で描かれていたら、どのように変わるでしょうか?今回は、その新しい視点から物語を再構築し、フランク一家の一日を追体験してみましょう。
フランク一家の朝
1942年7月9日木曜日の朝、エーディト・フランクは娘アンネを5時30分に起こしました。
「アンネ、起きなさい。服を着替えて」と穏やかに声をかけました。アンネは眠気の残る目をこすりながらベッドから起き上がり、まだぼんやりとした頭で母親を見つめました。
エーディトは心の中で何度も「今日がその日だ」と自分に言い聞かせていました。彼女は急いで荷物をまとめ、食堂で朝食を準備している夫オットーに目をやりました。オットーもまた、不安を隠しながら黙々と仕事をこなしていました。一方、姉のマルゴットは書類を整理していました。彼女の表情には決意と緊張が見え隠れしていました。家族全員が慌ただしく動き回る中、アンネはその様子をぼんやりと見つめていました。
運命の訪問者
しばらくして、玄関のベルが鳴りました。オットーがドアを開けると、クラインマンさんが立っていました。彼は硬い表情を無理に崩すように、口元を緩めてからにっこり笑って、
「おはよう、フランクさん。準備はいいですか?」と言いました。オットーは微笑み返して、「はい、もうすぐ出発します」と答えましたが、その声には隠しきれない緊張がにじんでいました。クラインマンさんは時計を見て、時間がないので急ぎましょうと急に真剣な顔になりました。彼もまた、状況の深刻さを理解しており、早く安全な場所に移動する必要があることを感じていました。アンネとマルゴットはそのやり取りを静かに見守りながら、不安な表情を浮かべていました。
新しい住処
フランク一家は慌てて家を出ました。外はまだ薄暗く、人影もまばらでした。通りを歩きながら、エーディトは青白い顔をして伏し目に歩く娘アンネに、「アンネ、大丈夫よ」と優しく声をかけました。アンネは黙ってうなずきました。それから、彼らはクラインマンさんの案内で隠れ家に向かい、無言のまま道を急ぎました。
街の中心にある教会の鐘楼が朝の光に照らされて黄金色に輝いていました。教会の前には小さな広場があり、そこには人々が集まってきていました。アンネはその広場を見つめながら、これから向かう場所がどれほどの安らぎを与えてくれるかを想像しようとしました。
フランク一家はアムステルダムの隠れ家に到着しました。クラインマンさんはドアを開けながら、「ここがあなたたちの新しい家です」と言いました。アンネは驚いて周りを見渡しました。狭い部屋にベッドが二つ、小さな机が一つ、そして窓が一つ。これが新しい住処なのかと思うと、なんだか信じられませんでした。
隠れ家での生活
オットーは、「ここが我々の避難場所だ。しばらくの間、ここで生活することになる」と説明しました。エーディトもマルゴットも黙ってうなずきました。アンネはまだ実感が湧かなくて、ぼんやりしていました。
その後、クラインマンさんが細かい注意事項を説明しました。
「昼間は静かにしていなければならない。夜になるまでは絶対に音を立ててはいけない」
フランク一家は息を飲んで聞いていました。クラインマンさんの厳しい声が静かな部屋に響き渡り、その緊迫感が一層強まりました。
エーディトの顔には心配の色が濃く表れ、彼女は何度も唇を噛み締めていました。オットーは眉間に深い皺を寄せ、クラインマンさんの言葉を一言も漏らすまいと真剣に耳を傾けていました。彼の手は無意識に拳を握りしめ、その指先は白くなっていました。
マルゴットは緊張のあまり、息をするのも忘れてしまったかのように見えました。彼女の目はクラインマンさんの口元に集中し、その一言一句を逃さないようにしていました。彼女の手は膝の上で固く握られ、その指先が震えているのが見えました。
そしてアンネもまた、その言葉の重さを感じ取っていました。彼女の心臓は早鐘のように打ち、その鼓動が耳に響いてくるようでした。彼女は自分の呼吸の音があまりにも大きく感じられ、静かにしなければならないという重圧に押しつぶされそうでした。アンネの目には涙が浮かんでいましたが、決して泣かないと決め、必死に堪えていました。
まとめ
このように、三人称の多視点から描かれることで、フランク一家それぞれの心情や緊張感がより鮮明に伝わってきます。原作の「アンネの日記」はアンネの視点から見た家族の絆や希望の物語ですが、別の視点を通じてその深みや複雑さがさらに増すことがわかります。ホロコーストという過酷な状況下での彼らの生活は、今なお私たちに多くのことを教えてくれます。この再解釈を通じて、フランク一家の物語が新たな視点から広く理解されることを願っています。
この記事が、アンネの日記の新たな視点を楽しむ読者にとって興味深いものになることを願っています。
文章講座からの添削
応用編の課題『一人称を三人称に』を、お送りいただきありがとうございます。早いもので、もう課題も4回目を迎えました。純文学講座の課題はどれも難しいのですが、第4回の課題も然りです。しかも今回ほど『本を選ぶ』のに難航する課題はなかったのではないでしょうか。なぜなら、『一人称を三人称に』書き換える場合、人称だけを変えれば簡単に済
んでしまうからです。そういった書籍が大半だからです。そして純文学や、いわゆる文学作品と誉れ高い書籍ほど、そのような書き換えになってしまいます。極端に言えば、ライトノベルのような、口語体で書かれている書籍のほうが今回の課題には合っています。一般的にライトノベルは、「私はこうなの、こう思うの!」のような、自己主張が強い内容になっていますので、三人称に書き換えるのにもってこいだと思われるからです。
nyoraikunがお選び一家の幸福を願わずにはいられない切なさも含んでいると思いました。先程申し上げたように、純文学(今回は手記に近い純文学でしょうか)を書き換える場合、ただ人称だけを変えれば済んでしまいます。しかしnyoraikunさんには文章力がありますし、nyoraikun独特の世界観もすでに築いていると思います。 前回の講評に「ラストに出てくるドッグフードという言葉に違和感を覚えました。時代的にもドッグフードではなく犬の餌と書いたほうがしっくりする気がします。」と書きました。「細かいのですが」と前置きして書いたのですが、こういった小さな違和感が小説の世界に
亀裂を入れてしまう危険性があるのです。今作にはそういった違和感はありませんでした。後半にいくにつれて、緊迫感や不安感がいっそう大きく膨らんでいくのが、静かな文章と描写にあらわれていて、続きを読みたい気持ちになりました。 今回も原稿用紙 5 枚という短さでしたが、全体のバランスも申し分ありません。今回の講評にはあてはまりませんが、短編を書く時に、まず書きたいことをとりあえず書き、そこから削るということを覚えてください。よくよく読み返していくと、「過剰かもしれない」「あえて書かなくてもいいかもしれない」部分が見えてくるのです。
次回の課題も臆することなく取り組んでください。
楽しみにしています。
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