新たな年、三島由紀夫とともに:文章の妙味を再発見する旅

新しい年が始まり、早くも1月が過ぎようとしています。今年は、三島由紀夫の著作を中心に据えながら、婚活、ブログ、そして仕事の4つの柱で進んでいきたいと考えています。

執筆依頼と自己成長

先日、「Trip Partner」というサイトから執筆依頼がありました。調査したところ信頼できるサイトで、1記事あたり3000円という報酬が提示されていました。しかし、内容の充実度が求められるため、寄稿するかどうかはまだ未定です。この機会に、しっかりとした書き方を身につけることができるかもしれません。

三島由紀夫の再読

今年は再び三島由紀夫の作品に触れ、その魅力を再確認したいと思います。特に『文章読本』は、古今東西の名著を参考にしながら、文章の魅力を解説しています。この作品は、三島が口述筆記によるもので、彼の硬質な文体が和らぎ、読みやすい仕上がりとなっています。

谷崎潤一郎の『文章読本』と比較すると、三島由紀夫は趣味の読書人「レクトゥール」から、精読者「リズール」へと変わる必要があると強調しています。「リズール」とは、その人のために小説世界が実在する人物のことを指します。

三島由紀夫は、文章の目標を「格調」と「気品」に置いており、それは古典的教養によって養われると述べています。

「文体による現象の克服ということが文章の最後の理想であるかぎり、気品と格調はやはり文章の最後の理想となるでありましょう」

この力強い結語の中で、彼独特のアフォリズムも紹介されています。

三島由紀夫の名言

以下に、三島由紀夫の『文章読本』から心に響く名言をいくつか紹介します。

「風俗は滑稽に見えたときおしまいであり、美は珍奇からはじまって滑稽で終る。」

「自分の気に入ったものだけを取り上げて、自分で美しいと思ったものだけに筆を集中しながら、自分の気に入った言葉だけでもって、美しい花籠を編みます。」

「美は人を沈黙させる。」

「凡庸さを美しく見せ、全体の中に溶けこますことが、小説というこのかなり大味な作業の一つの大事な要素なのであります。」

「十冊の本が読めるところが、歩けば一冊の本しか読めないかもしれません。しかし歩くことによって、十冊の本では得られないものが、一冊の本から得られるのであります。」

「現代では文章を味わう習慣よりも、小説を味わうと人は言います。彼の文章がいいという言葉はほとんど聞かれず、彼の小説はおもしろいと言われます。ところが文章とは小説の唯一の実質であり、言葉はあくまでも小説の唯一の材料なのであります。」

「文章の味には、味わってわかりやすい味もあれば、十分に舌の訓練がないことには味わうことができない味もあります。」

「もちろん水に似た味わいは、食通が最後に玩味するものでありますが、濃い葡萄酒やウィスキーに似た味わい、一例が谷崎潤一郎氏の文章の味わいも捨てられないものであります。」

これらの言葉は、三島由紀夫の深い洞察と独特の表現力を感じさせます。彼の作品を再読することで、文章の妙味と深みを再発見できるでしょう。今年も、この素晴らしい作家の世界に浸りながら、自分自身の成長を目指していきたいと思います。

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この記事を書いた人

大日如来参上のブログへようこそ。ここでは、性の本質、結縁の道、聖地巡礼、社会の問題、舞台や映画のレビュー、そして智慧の書など、多様なテーマを通じて、内なる美と智慧を探求します。
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