三島由紀夫『憂楽帳』政敵について

政治は私のもっとも嫌悪する世界であるが、ひとつだけいいところがあるのは「政敵」というものがあるからだ。これこそは議会制民主主義の利点であって、政敵のない政治は必ず恐怖か汚濁を生む。政治をいささかでも清らかにするのは政敵の力である。

学者とか官吏とか芸術家とか、本来非政治的人間が政治的行動をするときの、なんともいえない醜悪さ、いやらしさ、臭さは、正当な政敵の存在しえないところで政争めいたことをやるからだろう。

政敵に対する公然たる非難には、さわやかなものがあるが、これらの人にはそれがない。

「人間、生きている以上、敵があるのは当然なことで、その敵が、はっきりした人間の形をもち、人間の顔をもっている政治家という人種は幸福である。」

「政敵がいれば、その死んだときの悼辞にも、さわやかな哀惜がこもるはずで、社会党鈴木委員長の鳩山元首相の死に関する感想は、読んでも気持のいい読物であった。政治がスポーツ的なフェアな光彩を発揮するのは、こういう瞬間であろう。」

上場会社に転職してから、140店舗あるうちの売上が上位10店舗に入るお店のサブチーフという立場で仕事を5年している。抜擢されてきたチーフを多くみていると、社内派閥の後押しがなければいけないというのがわかる。社内政治上で、補填という形で、売上利益がとれていない時にも、フォローしてくれるから、大型店の責任者が務まる仕組みなのだ。そこには、政敵がはっきりしていない中における派閥争いだから、何かにつけて陰湿である。

 私も幼い頃から最も嫌悪してきたのは、必要悪としての政治だったと改めて気付かされた。

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