AI時代に書く意味──そして、アスペルガーの部下と向き合う苦悩

「自分しかない何か」は本当に存在するのか?

小説家を志し、言葉で表現することで自分の存在を示したいと思っていた。
だが、AIが台頭する現代では「言語表現の価値って、結局なんだろう?」と立ち止まることが増えた。大学生の頃は、“私だけの何か”があると信じていたのに、ネットやAIを検索すれば、どんな疑問も大抵書き尽くされている。そして、有名な文学作品のどこかには、私が思いつくことなんて、すでに含まれているのだ。

ゴッホのように「描かずにいられない」という狂気じみた創作衝動もなければ、孤独を誇りにする理由もない。この時代において“書く”という行為は何を意味するのか? お金を払う価値すらあるのか? そう考えるたび、むなしさに襲われる。

AIのような人間?職場にいるアスペルガーの部下

そんなモヤモヤを抱えている最中、私を一層苦しめているのが「仕事」だ。部下の一人がアスペルガー症候群(ASD)で、コミュニケーションがあまりにも噛み合わない。しかも、そのやり取りがまるでAIディープラーニングの擬態を見ているかのようで、ストレスが積もる一方なのだ。

彼女は、過去に見聞きしたフレーズや行動パターンを、“自分にとってもっとも得をする”タイミングでコピー&ペーストしているように感じる。ここには、本来あるはずの「相手の気持ちを汲むプロセス」がない。だから、どんなに丁寧に接しても、私の感情はまるで届かないのだ。

あるとき、彼女が突然“ぶりっ子”キャラのような言動をとった。場を和ませようとした(と思われる)その行動は、むしろ逆効果。私が抱いている感情や状況を、一ミリも汲み取っていないことがはっきりわかった。その瞬間、心が折れかける。そこには、相手への怒りと失望、そして自分の力不足に対する苛立ちが混ざり合っていた。

周囲に理解されない「カサンドラ症候群」

それでも、私なりに必死で彼女に向き合った。しかし彼女は、さらに“擬態”の精度を上げることで対応しようとする。その結果、ますます本音が見えなくなる。上司や同僚に相談しても「そんなに大変なの?」とピンときてくれない。私の孤立感は深まり、「カサンドラ症候群」に陥りかけている。

  • カサンドラ症候群とは、アスペルガーなどの発達障害者と深く関わる家族やパートナー、同僚などが、理解されない苦しみで精神的ストレスを抱えてしまう状態を指す。

境界知能や発達障害は“感動ドラマ”になるのか?

NHKの番組や多くのフィクションでは、境界知能や発達障害を扱う時、どこか“感動ストーリー”にまとめられる。しかし、私の現場体験からすると「本当にそんな美談ばかりなのか?」と首をかしげるしかない。実際には、噛み合わない会話の連続と、報われない努力ばかり。そこに「物語」と呼べるような筋書きは、ほとんど見いだせない。

「人間はなぜ人間になれたのか?」
それは、自分が見ていない世界を想像し、共感し、感情を共有できたからだ。いわゆる“フィクション”を共有できるからこそ、文明は発展してきた。ブログを書く人が多いのも、その名残なのかもしれない。それなのに、アスペルガーの彼女には、この“共感”の仕組みが通じない。心を開いている“フリ”はしているのに、本当はどこまでも閉ざされている。そこに触れようとすると、こちらが心をすり減らすだけなのだ。

週末に抱く希望と、薄れゆく未来への熱意

「僕はこれから、どう生きていけばいいんだろう?」

答えは出ないまま、週末を迎える。
劇団四季の『王子と少年』を観て、新宿バルボラの南条えまさんとセックス。そして、懐石料理で有名な「板前心 菊うら」で食事をする──そんな予定だけが、いま唯一の楽しみかもしれない。
翌日は出勤だが、もし3月16日付で異動になれば、この週末をもっと心の底から味わえるはずだ。

しかし、もしかすると「病気」を治すべきなのは、彼女ではなく、私自身なのかもしれない。自分の心を壊さないために、どう向き合うのが正解なのか。その答えは、まだ見つかっていない。


目次

まとめ:誰もが抱える“生きづらさ”とどう向き合うのか

  • 書く意味への迷い:AI時代での「言語表現」の価値喪失感。
  • アスペルガーの部下:コミュニケーションが“擬態”のようで苦痛。
  • カサンドラ症候群:周囲に理解されない孤立感。
  • 人間の強みは“共感”:しかし、アスペルガー相手にはそれが通じない。
  • 週末の逃避:観劇、セックス、美食という予定──それでも職場のストレスは消えない。
  • 真の問題はどこに?:他者を変えられないなら、自分を変えるしかないのか。

こうして振り返ると、私たちは常に「自分と他人の境界」を模索しながら生きているのかもしれない。社会の中で、発達障害やAI、人間の心の神秘──さまざまなものが入り混じって、どこかカオスのような時代を生きている。だからこそ“書く”という行為が、本当に何の意味を持つのか、改めて問いたくなるのだろう。

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この記事を書いた人

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