「日曜日」 三島由紀夫

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財務省金融局の末席で机を向かい合わせて仕事を毎日している幸男と秀子の二人が、毎週日曜日にデートをするという話である。もう少し給料が高ければ結婚できるのにというような会話が二人の間にある。

「2人はさっき自分たちがのぼってきた九十九折を、どんな連中がどんな恰好をしてのぼって来るかに甚だ興味があったので、杉の幹に隠れて見ていたが」から始まるピクニックに来る者たちの描写は、まるで猿の大群を眺めているようなおぞましい気持ちにさせる。

「青年はしじゅう頼もしげな自己陶酔の微笑をうかべているが、それはあと十年もたてば、諦念の苦い微笑に変わるであろう。何故かというと、連れの女は、悍馬の骨相をあらわしているからだ。」

「痩せた小柄な真白けな青年が、大柄な年嵩の外人の女と腕を組んで登ってくる。介添え役は女のほうである。青年ははにかんだように、うつむいたままである。女はのぞき込んでは、舌をちらりと出して、青年の頬を舐めている。突然女が顔をあげた。日本人の顔である。その赤毛は染められたものだった。そのあとからは、……」

 人間の求める普遍的な愛の形を、こんなにも醜いものだと暗に示しているようだ。おしまいには、幸男と秀子は電車にはねられて亡くなる。悲しみよりも安心してしまう自分がいるのは、結婚して子供が欲しいという思いから、同じようなデートを重ねている私の醜さを認めたくないからだろう。

「ごらん! 日曜日は死んでしまった」

というラストの言葉で、このような猿の群れのような日曜日は無くなり、真に人間らしい生活が始まるのだという希望が語られているようだ。

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