新宿駅に降りて、ふらふら散歩。書を捨て街へ出ようという言葉の通り、外に出ると文字ではない刺激がいっぱい。バレーボールの劇画作品の表紙を飾ってあるパネルの前に人だかり。SNSにアップするため、友達に見せるため、漫画は日本の文化だと、麻生副首相が騒ぐだけのことはある。若い女の子が多いなぁ。
私の子供の頃は、スポーツ選手と言えば野球選手が1位から7位ぐらいまで席巻していて、8位にサッカーの三浦知良がいるぐらいであった。野球人気が無くなったのではなく、趣味が多様化して、専門化して、つかみどころない時代になっている。皆がスマホを持つ時代になったら、情報を取捨選択する技術が必要で、自らで価値を創造しなければならない時代になっているのであって、大人の敷いたレールに乗って、左顧右眄・阿諛追従して努力していれば、いい結婚相手に巡り合い、いい仕事について一生を送れる世の中ではなくなってくるだろう。
歌舞伎町でこの店の前を通るたびに思う。昼だからか、一度も開いていることがない。観光地と違って、この場所で天然果汁をなんだか飲む気がしない。
ホストクラブの№3までが写真入りで紹介されている。ジャニーズ系の可愛い男性達。
女をお金としか思っていない連中、店の売上のためにお酒を大量に呑んで、肝臓を壊し、いずれは引退する彼ら、親戚や親に見捨てられて幸薄い彼ら、そんな先入観を持っている。しかし、この店に通い、ここだけを支えに日々生きている孤独な女性がいるのも事実である。恋愛感情が高まったとみるや、お金を要求し始め、湯水のごとくお金を注いで、借金してまで貢いで、ソープランドで稼ぐようになって、自殺する。
三島由紀夫は言う。
人間を統治するのは簡単なことで、人間の内部の虚無と空白を統括すればそれですむのだ。人間という人間は、みんな胴体に風のとおる穴をあけている。そいつに紐をとおしてつなげば、何億人だろうが、黙って引きずられる。
Kさんに会う前に、赤穂浪士四十七士が仇討ちをした後、切腹をした泉岳寺を訪れた。
境内には赤穂浪士の墓が並んでいた。
太宰治が『人間失格』の中で、明治神宮、楠木正成の像、泉岳寺にも行けずに終わりそうだと書かれていたのをふと思い出したのである。当時、昭和10年代に地方に住む人が観光で訪れる場所といえば、そういったところなのだろう。
無人販売店があった。手慣れて買い物している人達がいる。
いよいよ30分ぐらいで、彼女Kさんの登場だ。錦ヶ浦から飛び降りる覚悟で、命をかけて向き合うぞ!💢
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