ペットショップの記憶と動物たちとの出会い

小学生の頃、両親とデパートで食事をした後、買い物の間、ペットショップに入り浸るほど動物が大好きだった。亀やカブトムシを飼育ケースで飼っていたが、毎日の世話が大変で、結局親が面倒を見ることになっていた。ハムスターを飼った時、においが強烈だったため、ベランダに一晩出したところ、翌朝には冷たくなってしまった。その時、痛ましいことをしたという罪悪感が芽生え、それ以来動物を飼うのをやめてしまった。

人間以外の動物は、自分で糞尿の後始末ができない。だから世話を怠るとすぐに臭くなる。水洗便所で排泄して後始末もする犬や猫がいたら、もっと飼育する人が増えるだろう。自分のことで手一杯の私はそんな余裕もない。

私が住んでいる南大沢の近くには、東京郊外のベッドタウンとして有名な場所があり、大きな2階建てのペットショップ「ペットエコ」ができた。子供の頃とは違い、社会人になって独身貴族の私は、お金を出せばどのペットも手に入れることができる。

養老孟司は、1日のうち10分だけでも人間が作ったものではない自然を見るようにするといいと、広辞苑大学の講演で話していた。

祭りで緑亀を買って、6年間ベランダの水槽で飼っていたことがあるが、今ではリクガメも2万円もかからずに飼うことができるのだ。

ペットエコでは、3万円以下で購入できる動物も多い。例えば、テトラ社の人工飼料だけで飼育できるフトヒゲアゴトカゲも同様の価格帯で購入できる。生きた餌を与えなくても良いというのは嬉しいが、本当にそれだけで大きくなるのか疑問が残る。

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ペットショップでは、ガラスケースに入れられた子犬たちの中で、1匹だけ地べたに置かれたケースに入れられ、特異な存在感を放つチワワがいた。値段も一番安く、生年月日が3月3日と古いために買い手がつかず、このような扱いになっているのだろう。売れないということは、人間社会において何においても残酷なことだ。それにしても、そのチワワの目はとても可愛かった。数秒見つめ合っただけで、キュンとするものがあった。一緒にもっといたいなと思った。

動物好きの気持ちは変わらないが、過去の経験から動物を飼う責任の重さを痛感している。それでも、ペットショップでの出会いは心を癒してくれる瞬間だ。

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