40歳になった記念に、シナリオライターを目指すことを決めた私。だが、その決意の背後には、安部公房や三島由紀夫に心酔する理由が潜んでいた。ふと考えた。「なぜ、彼らにこんなにも惹かれるのか?」そして気づいた。彼らの作品を貫くのは「人間とは何か?」という根源的な問いなのだと。
人間の本質を探る旅:動物行動学から言語学まで
安部公房が影響を受けた動物行動学者ローレンツの『ソロモンの指輪』を読み返し、彼が人間の普遍性を探し求めた姿勢に共感を覚える。人間の本質とは何か? それを探るために、私は以下のような本を参考にしてきた。
大脳生理学系
角田忠信『右脳と左脳』
言語学系
デレック・ピッカートン『言語のルーツ』
ノアム・チョムスキー『言語論』
動物行動学系
デスモンド・モリス『裸のサル』
リチャード・ドーキンス『利己的遺伝子』
社会学系
マルト・ロベール『カフカのように孤独に』
エリザベス・ブルゴス『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』
こうした著作を通じて、私は人間の普遍性を追求している。特にコロナ禍の現在、この問いかけはより切実なものとなっている。
歌舞伎町の黒人に見た自分
先日、私は久しぶりに歌舞伎町を訪れた。5月1日、コロナ禍の最中だ。新宿はいつも通りの雑踏に包まれていたが、私はある一人の黒人男性に目が止まった。彼は青い服を着て、通行人の女性に声をかけていた。何か尋ねている様子だったが、どこか怪しげな雰囲気を感じさせた。通り過ぎるたびに、その姿がなぜか自分自身の姿と重なった。
彼のように、何かを求め、答えを探している私の姿。それは新しい挑戦への迷いや不安、そして自分自身への問いかけでもあったのだ。私が安部公房や三島由紀夫に感じる強い共感は、この自分自身の揺らぎと深く結びついているのかもしれない。
ハモと新宿の不思議な共存
私は普段、鮮魚部門で働いているので、発泡スチロールに書かれた「活ハモ」という文字に目を引かれた。新宿のような多文化都市で、なぜハモ? そんなことを考えつつ、京都出身の人々がここにもいるのかと想像してみた。
パリの街にいるような錯覚
歌舞伎町の街角では、まるでパリの街にいるかのように美しい花が咲き誇っていた。コロナ禍で旅行に行けない現実の中、私はその一瞬、異国の街にいるような気分に浸った。まさに、家にいながらの「旅気分」を味わえる瞬間だった。
最後に
家に帰ると、ホームセンターの駐車場で感じた動物園の糞の匂いが妙に懐かしく、ふと現実に引き戻された。そんな日常の中で、私はこれからも人間の本質を追求し続けるだろう。そして、いつの日かシナリオライターとして、自分の物語を世に送り出したいと強く思う。
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