祖母の49日の法要で再会した家族との思い出と、血の繋がりが呼び覚ます家族の絆

昨日、祖母の49日で小学校以来会っていなかった従兄妹と再会しました。普段は何気なく口実を作って仕事を休むことがあっても、今回は本当に祖母を送り出すための集まり。半年前に老人ホームで会った祖母が今は骨壺の中に安置されている姿を目の当たりにして、言葉にできない感情が込み上げました。

「人は壺のようなもので、割れても空っぽだ」と陽明学にあるように、人の命は一見無意味にも思えるけれど、実際はそのはかなさにこそ何かを見出すべきなのかもしれません。人間はみな死ぬ。それなら、どれだけ今日を大切に生きるかが最も重要ではないかと、祖母の骨壺を見つめながら感じました。

法事の後、親族全員で京王プラザホテルの最上階で食事。久しぶりに会った従兄妹とは、血の繋がりのおかげか、何十年も空白があったとは思えないほど自然に話せました。一人は警備会社を経営する社長、もう一人は3人の母親として家庭を支えています。その成長ぶりに嫉妬を感じる一方で、彼らが誇りに思える親族であることも嬉しい気持ちになりました。人と人を繋ぐ「血」の力が、やはりここにあったのです。

そして、ふと思い出すのは、祖母がいつも私に「結婚しないのか」と尋ねていたこと。祖母は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャのように、家族の未来を信じ、心から真心を注いでくれていました。祖母が見つめた空の向こうには、きっと人の命の意義があるのだろうと、私も静かに思いを馳せました。

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