ブログを運営していると、記事が思わぬ形で注目を集めることがあります。中でも、かつて吉原ソープで一世を風靡した女性から届いた削除依頼は、私にとって非常に印象的な出来事でした。
かつての感謝が一転、削除依頼に
その女性はキャストとして働いていた当時、私のブログ記事に感謝の意を示してくれ、何度かメールでやりとりをしたこともありました。彼女にとって、その記事は自身の人気を高める一助だったようです。しかし最近、風俗業界のコンサルタントとして新たなキャリアをスタートした彼女から、「あの記事が邪魔になった」との理由で削除を求められました。
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彼女の源氏名はもちろん本名ではありません。しかし、その名前を用いて次なるビジネス展開を図りたいというのです。それならば名前を変えればいいのでは?と思わずにはいられません。同じ名前を使い続ける以上、過去の活動が影響するのは当然です。それを「削除してほしい」と言ってくるのは、少々身勝手ではないでしょうか?
「虚像」を生きることの限界
彼女は美大出身で、エロ漫画出版のオーナーを務めるなど、多彩な活動をしていました。その中で「ペルソナ」を使い分ける感覚を持っていたのでしょう。しかし、虚飾を重ねても、心の底からの叫びでなければ、人は耳を傾けません。その本質を、彼女はまだ理解していないようです。
女子アナと風俗キャストに共通する「価値の作り方」
話は少し逸れますが、女子アナが一部の男性と合コンを繰り返すニュースを聞いたことがある方も多いでしょう。「自分の価値を高めるためなら、股を開く」という話も耳にしたことがあります。これも一種の「ウィンウィンの関係」が背景にあるのでしょう。
華やかな世界に飛び込み、理想の結婚やキャリアを目指す女性たちにとって、そうした人間関係は宝の山にも見えるのかもしれません。そして、それに群がる男性たちにとっては、性欲・支配欲・義侠心を同時に満たす場でもある。こうした現実は、どんなに時代が進んでも根強く残るものなのでしょう。
時代の変化と「都合の良さ」
最近ではSDGsやMeTooといった時代の波により、古い価値観にメスが入れられるようになりました。その影響で、一時代を築いたとされる著名人や管理職が批判を受けたり、降格されたりすることも増えています。しかし、それも時代の「都合」で動いているに過ぎないのでは?と感じることがあります。
吉原ソープのキャストの削除依頼も同様です。都合が良いときは感謝され、都合が悪くなると削除を求められる。このような「ご都合主義」に対して、私は言論の自由を守るため、声を上げたいと思っています。
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