小説講座の添削が返ってきた。ショックである。AIに今回はすべて書いてもらった。赤ペンが入っていない。作品の内容への講評となっていて、評価が以前より高いのがうなずける。もう生成AIが、私の知能をも追い越していく。というより、もう超えているのだろうけど……。やはり、添削を読む限りにおいては、人間味が欲しいとなっているところは、添削者は、ぬるいように見えて、目は鋭いのは確かだろう。
初めに添削の内容、後に、提出した小説となっている。
nyoraikun様
基礎編3点(満点)
応用編2.5点(3点満点)
応用編の課題『A 駅から職場や学校までの道(あるいは、いつも通いなれた道ならどこでも)を、視覚以外の描写だけを使って書いてみよう』をお送りいただきありがとうございます。いつもの朝の風景を客観視してみると、新しい発見があるものです。特に視覚を封印しなくてはならない、と意識するとどうでしょうか。自然と視覚以外の五感(四感?)を研ぎ澄まさなくてはならなくなります。視覚以外だと嗅覚、触覚、聴覚、味覚ですね。しかし小説家たるもの、五感以外の感覚も持ち合わせていなくてはなりません。いわば心の目というか、心の感覚です。
視覚を封印されたのなら聴覚にうったえよう、そう考えた受講生は多かったです。nyoraikunさんはいかがでしょうか。一読したところ、嗅覚に頼った書かれ方をしていると思いました。描写となるとどうしても、目で見たものを書く、というのが一般的ですから、急に視覚以外の描写と言われても困りますよね。ほとんどの受講生が聴覚にうったえる、つまり擬音を多用するやりかたを選択していました。nyoraikunさんも冒頭では擬音を多用され、正直「ああ、またか」と思ってしまいましたが、すぐに擬音は鳴りを潜め、代わりに匂いにフォーカスしはじめましたよね。主人公はよほどお腹がすいているんだな、とこちらまで空腹を覚えそうになるほどリアルな描写で(急いでいる時ほどおいしそうな匂いに反応してしまう、という着眼点がまたよかったです)、同時に食べ物や飲み物の誘惑はあちこちにあるんだと再発見させられました。職場へと急ぐ主人公と主人公を阻もうとする芳ばしい匂いの絡みがおもしろかったので、欲を言えばラストのオチとして、職場についたとたんにコンビニでコーヒーと揚げ物を買ってしまう、という暴挙(?)に出てもよかったと思いました。今回の課題は『A 駅から職場や学校までの道(あるいは、いつも通いなれた道ならどこでも)を、視覚
以外の描写だけを使って書いてみよう』なので、特にオチをつける必要はないのですが、人間のおもしろみを表現した〆として、オチがあったほうが深みが増したように思います。
タイトルが『耳でほどく朝の街』になっていますが、聴覚よりも嗅覚の印象が強いので、やや違和感を覚えます。嗅覚を使っての描写が秀でているので、聴覚を使った描写がかすんでいるのです。人混みや排気ガスなど、一般的で(嗅覚に比較すると)おもしろみがないのかもしれません。
今作の課題の学びは何でしょうか。いつも通いなれた道、同じ道ですが、毎日同じ思いで歩くわけではありません。うれしい日も悲しい日も、つらい日も、どうしても通いたくない日もあるはずです。そういう心の感覚を描写にのせるのがねらいです。たとえば、いつもひらく家のドアが重く感じたとして、それはどういう気持ちだからなのか。ただガチャっとドアをひらくのではなく、「心のわだかまりを押しつぶすように、両手でドアを押してみた」とか、「ドアがいつもより重く感じるのは、憂うつな出来事が待っているからだ」とか、心理を動作にのせてみるのです。小説家を目指す者としては、やはりご自身の言葉、表現のバリエーションは増やしておいたほうがいいです。
次回の課題も楽しみにしております。
提出文書『耳でほどく朝の街』
改札を出た途端、渦巻くような人波の足音と、電子音が断続的に耳を満たす。ピッ、ピッ、というカード認証の合間に、コートやカバンがこすれ合うシャカシャカという音が絶えず聞こえ、空気はまだ少し生あたたかい。私はマフラーの先を軽く握り締めながら、先へ進まなければと小走りになった。
階段を上り始めると、スニーカーと革靴が入り交じる軽快な足音が、段差を刻むごとに混ざり合う。膝に軽い張りを感じつつ、頭上を横切る電車の軋むような振動に、体全体がほんのわずかに揺さぶられる。そこでふと、私はもう少し早く家を出ればよかったと軽い後悔を覚えた。
人混みをすり抜けるように階段を上りきると、改札近くの売店から揚げ物のにおいが漂ってきた。甘辛いソースの香りに鼻がくすぐられ、まだ寝ぼけた胃が思わず反応する。財布に手を伸ばしかけるが、時間を気にして思い直し、リュックの肩ひもを引き寄せるように握り込んだ。
駅舎を抜けて外に出ると、ひんやりした風が頬を撫で、排気ガスの苦いにおいが肺に入り込む。そこに混ざるのは、自動ドアの開閉に合わせて漂ってくるコーヒースタンドのかすかな焙煎香だ。通りを急ぎ足で横切る人たちの靴音が、どこか急かすように高まっている。
バス停を通り過ぎるとき、アイドリング中のエンジンの低い唸りが腹の底に響き、乗車を待つ人々がコートを擦り合わせる気配が耳に残る。ふくらはぎがじわりと熱を帯びはじめ、少し息が上がるのを感じながら、私は行き先を示す看板を手がかりに方向を確かめる。
パン屋の強いバターの香りが、風に乗ってあたりを包み込む。鼻先がくすぐられ、食欲が呼び起こされるが、足取りを緩めるわけにはいかない。少し重くなりつつあるリュックを背負い直すと、肩に食い込むひもの圧迫感が、今朝の早起きを思い出させた。
大通りに面する交差点に近づくほど、自動車の往来が絶えず、エンジンとクラクションが途切れない。信号を待つあいだにも、排気ガスとどこか甘ったるい香りがかすかに混ざり合い、鼻の奥に不快な刺激が残る。タバコの煙が風に流されて背後に吸い込まれ、思わず喉がつまるような感覚を覚えた。
信号が変わった瞬間、集団で渡り出す足音が一斉に響き、私は急ぐあまり誰かの足にかすかにぶつかってしまう。すみません、と口の中でだけつぶやきながら、しかし相手も忙しそうに前を急いでいく。わずかな接触が静電気を帯びたようにピリッと肌に残り、少しだけドキリとした。
向こう側の歩道を踏んだとき、アスファルトから解放されたように、少しクッションの効いた地面の感触が足裏を和らげる。空調室外機の風切り音が低くうなり、にわかに暖かい流れを感じる。その通りに沿って数分歩けば、職場のビルに続く路地にたどり着くはずだ。
路地に入ると、大通りの轟音が徐々に遠のき、代わりに家庭の生活音が静かに立ち上がる。窓からこぼれる皿の触れ合う金属音や、湯を沸かすやかんの軽い笛の音が耳の奥で重なり、小さな子どもの弾む声がかすかに聞こえる気がする。
朝食の支度なのだろう、味噌汁や炒め物の香りがかすかに漂ってきて、懐かしい匂いに胸がほどける。仕事の始まりを意識していた肩の力がほぐれるように感じながら、スマートフォンで時刻を確認しようとするが、視界を使わず音声アシストに頼って残り時間を把握する。
耳に意識を向けると、私の足音の合間に、自転車のチェーンがわずかに軋む音が近づいてくる。車輪が砂を踏むシャリシャリという響きが、路地の壁に小さく跳ね返りながら通り過ぎていく。危なくぶつからないよう、ほんの一瞬だけ動きを止める。
やがて、ビルの谷間に吹き抜ける風がさらりと首筋を冷やし、建物から漏れた空調の風切り音が重なると、職場がもうすぐそこにあるとわかる。気づけば体の芯にじんわり汗をかき、けれど朝の勢いを保ったまま玄関へ踏み込む。自動ドアの開閉音が耳を通り抜けたとき、視界を使わずとも確かにここまで来たのだと、安堵と微かな達成感が胸に宿るのを感じた。視界を閉じるようにまぶたを下ろしてみれば、いつもの音とにおいだけが、自分を目的地へと導いてくれていたのだと改めて思う。
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