美しさとは何か?広瀬すず、深田恭子、竹内結子の魅力を考察する
トレンディードラマも見ない私に、「広瀬すずの魅力を語れ」と言われても、正直なところ「どれだけおかずにしたことがあるのか?」という話しかできない。しかし、女性の美に対する本能的な反応は、単なる下世話な興奮だけで語り尽くせるものではない。
私が高校時代に毎週購読していた『少年マガジン』のグラビアで、心を奪われた女性が二人いた。深田恭子と竹内結子だ。ただの画像でしか見たことがないのに、なぜか夢中になった。あの時、あの写真が私の思春期を支配した。青少年の健全なおかずとしてのグラビア。それは単なる娯楽ではなく、男性にとっての「美」の原点なのかもしれない。
美しさは天分か、それとも価値か?
「才色兼備」とはよく言うが、色気というものは確かに天分によるものだ。誰もが持てるものではなく、生まれながらに宿った資質である。だからこそ、それを言葉にするのはタブーとされる。しかし、私たちは女性の美に心を奪われ、その美しさがどのように表現されるかを見守ることをやめられない。
コロナ禍の最中、マスクをしたまま毎月刺身を買いに来ていた美人の女性がいた。男性社員たちは彼女の美しさに目を奪われ、冗談を言い合っていた。しかし、ある日を境に彼女は店に来なくなった。女性社員が「そんな風に冷やかすのが伝われば、女性は来なくなるよ」と言った。私は「マスクを取ったら美人かどうかわからないから、飽きるのかな」と冗談を言ったが、それが正しいかどうかはわからない。ただ、人は「見えない美」に対しても、無意識に惹かれてしまうものだ。
彼女は単なる「顔が整った若手女優」ではなく、スクリーンに映るだけで空気を支配する力を持っている。それは、深田恭子や竹内結子が90年代後半から2000年代にかけて持っていたものと同じ、「時代を象徴する美しさ」だ。デビュー当初から彼女は「透明感」と「華のある存在感」を持ち、それが多くの人々の心を捉えた。
また、広瀬すずの魅力は、単なる美しさにとどまらない。彼女の演技力、身体能力の高さも際立っている。映画『ちはやふる』シリーズでの競技かるたの熱演、『一度死んでみた』でのコメディ演技など、幅広い役柄に挑戦し、どの作品でも彼女独特のエネルギーが輝く。スポーツ系の企画では、バスケのシュートを決める姿が話題になったように、その身体能力は女優としての武器にもなっている。
そして、彼女の「素のキャラクター」もまた魅力の一つだ。バラエティ番組では飾らない姿を見せることが多く、その率直な発言が炎上することもあったが、それすらも彼女の本音の魅力として受け入れられている。
美は永遠ではないが、その価値は変わらない
結局、美しさとは何か?それは単なる外見の問題ではなく、「時代を象徴する存在になれるかどうか」だ。深田恭子や竹内結子がかつてそうであったように、広瀬すずもまた、2010年代後半から今にかけてその役割を担っている。
私自身、44歳になり、資産形成に励みながらも、「美しさ」や「若さ」に対する憧れを捨てられない。オルカンやS&P500に投資し、新NISAを満額埋めても、20年後に体力も気力も衰えた自分に、それがどれほどの意味を持つのか?しかし、700万円近くを投資したことで、経済の動きを少なからず理解できるようになり、自分が社会の一部として経済に参加している感覚を得ることはできた。
広瀬すずの美しさがいつまでも続くわけではない。だが、彼女が「今この時代の象徴」として輝いていることは間違いない。そして、私たちはそんな彼女の姿を見ながら、過去に夢中になったグラビアの記憶と、自分自身の人生を重ねてしまうのだ。
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